こんにちは。宇佐川芳鉢です。
今回はちょっと思ったことを書きます。
「いまはもうそんな時代じゃない」
「いまはもうそんな時代じゃない」という言葉をよく耳にします。
昔は当然とされた悪しき風習を諫める場合に使われることが多いようです。
上司の態度が無意味に高圧的であったり、男性がむやみに女性を見下したり、教師が生徒を体罰したり。
そんな時によく聞こえてくるのです。
「いまはもうそんな時代じゃないから……」と。
私はこの言い方にモヤモヤさせられることが多いです。
この言葉が対象にしている「時代」とは、せいぜい遡っても昭和までのことではないでしょうか。
そこで私は思うんです。
果たして、昭和から令和までの間に「好ましくないこと」の価値観はそんなに変化したのでしょうか?
そうじゃないでしょ。
昭和時代の常識で考えたとしても、高圧的なのも、暴力も、女性蔑視も、人間関係的にマイナスポイントだったはずです。
ただ、社会からある程度は許容されていた、というだけで。
それがなぜ、いまでは許容されないのか。
それは、決して、時間が経過するにつれて、自然に「そうなっていった」わけではありません。
その背景では、人知れず苦闘を繰り広げた先人たちの姿があったはずです。
それなのに、こういう言い方で、単に「時代のせい」にしてしまうなんて……。
なんだかとても良くないことのような気がしてくるんです。
それに「いまはもうそんな時代じゃない」という言葉の裏に感じられる精神がイヤなんです。
本当は納得してないけど、そっちのほうが無難だからと渋々と従う……。
この言葉には「思考停止」と「わだかまり」が溶け込んでいるように感じられます。
それと、時代についていけないという状況に対する、少しの「被害者意識」も。
モヤモヤの考察
私がこういう言葉でモヤモヤする理由も、この機会に考えてみました。
それで思ったんですが、たぶんこういうことを言う人って、「そういう時代」だったら「そういうこと」を平気でしそうな感じがありませんか?
歴史上の過ちを学習した上で、同じ轍を踏むのが目に見えるようです。
私はそれがイヤなんだと思います。
「時代にそぐわない」から、やらない……。
う~ん……。
新見南吉の小説
こういうとき、私の脳裏をよぎるのは新見南吉の小説です。
特に、戦時中に書かれた童話を思い返します。
たとえば「ごんごろ鐘」。
戦時中なだけあって物騒な話や日本を持ち上げる話なんかも出てきますが、その物語の中には清らかな空気が満ちています。
もっと憎悪や攻撃性があっても良さそうな時代背景でありながら、これはすごいことだと私は思うんです。
爆弾になるためにお国に献呈される鐘の話なのに、いま読んでも心が温まります。
やっぱり、人間の根本の部分って、そんなに時代によって変化するものでもなさそうな気がしてくるんですよね。